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多様性が大事

たまたま見かけたこの動画ですが、なるほどと思うところあります。

バブル崩壊後の日本のことについても、自分もどこか他人事の様な気がしていました💧。

確かに、自分はというと、バブルの絶頂期に社会へ入った世代なので、「なんとかなる」と受け身に考えがちな世代なのかもと思うところあります。

つい先日ですが、自分達の親世代の方々と、テクノロジーや、AIなどの話をする機会がありました。

その方々は、過剰なテクノロジーや人口知能は「脳や体が退化する」と言うことをまず懸念していましたが、自分も少し前まではそんな考えと、何より「AIに仕事奪われるんじゃないかな」と不安に思ったりしていました。

でも、台湾のデジタルの雄オードリー・タン氏が言う様に、「AIは人類に次の生き方を選択する機会を与えてくれる」、生まれてくるべくして生まれてきたもの❓と思ったり。

こんな時代を分けていくものを生み出したのも、私たち世代オンリーではなく、私たちより前の世代からのバトンなのかと思ったりします。

そんな私たち前の世代の人たちは、「物質の良さ」を謳歌した世代であり、労働を「社会や、組織、或いは国家のため」と汗水流した世代であり、人生の価値を物質を生み出すことの豊かさに求めた世代かもしれません。

そんな世代の人たち、特に日本人には「労無くして楽を得る」みたいな、人に代わって人口知能を使う考え方や、インターネット上での一見無機質なやりとりにも見えるビジネスの考え方は、ダイレクトには受け入れ難い部分はあるのかもしれません。(でも、信用が重要という部分はリアルもネット上も変わらないですね)

一方で歴史が物語っている様に、人類は未来への弊害も予想しつつ、進化を止めることはない生き物だと思いますので、時代をさかのぼって俯瞰してみていくと、「何のために」と言う目的は抽象化されはしますが、前の時代へ逆行すると言うことは決してないのだということは理解できます。

例えば、具体的に言うと、今ではあたり前に使われている「洗濯機」も、少し前は「タライで手洗い」していた時代があり、その前は「川へ洗濯」と言う時代もあったわけです。

けど、今は、人が洗濯するのに、タライで手洗いや川へ行くことは、まずないと思います。

ただ、今の時代は、物も出揃っていると感じますし、個人が快適と思える生活を送る手段も、いく通りもあると思います。

多様性があっていいと思います。

例えば、一家に一台あった電話器も、最初は黒電話→公衆電話→ポケベル→携帯型シモシモ→ガラケー→スマホという様な変遷ができてくる様に、人に「悩み」ができて、初めてその物の必要性が出てくるわけで、「電話は家にあればいい」「私は携帯はガラケーで充分」と感じている人(中にはそんな方もいらっしゃるかも)に、スマホの重要性はなく、その人に悩むことがなければ充分快適に生きていくことができる世界なんじゃないのかなと思います。

悩みは人それぞれ違っていいと思います。

私たちより前の時代は物がなかったし、物がなければみな、平なところから出発するので「その悩みを解決しましょう」と、より進化した物が生み出されていって、それが「人の役に立つ」という労働の価値基準に繋がっていって、そしてその労働に就くために競争ができたり、より多くの情報や教育が必要とされたり。。世界が一つの「流れ」になっている部分があったのだとしたら。。

今はそんな世のストリームラインに乗らなくても、個人が悩みを解決する方法をそれぞれ個人が持っているし、生き方を選択できる多様性のある時代だと思います。

地球の変化など感じ取って「私は直感のみで生きるのよ」と言う選択だってありだと思います。

この動画で言われている通り自分で学び、考えることが大事なのかなと思います。

人が人の作った産物に振り回されるよりは、どうしたら自分で自分を満足させる、喜ばす生活ができるか、「楽」できる分、考えること、体を動かし運動することを増やしていけばいいんじゃないのかな❓と思ったり。

じゃないと、「楽」→「何も考えない、体も動かさない、思考停止」状態になると、懸念される弊害の方が現実として起こってくるのかもしれませんし、人は楽な方に流されやすいということはありますが、これからは、自分の選択したことが、ハッキリ結果として分かれてくる局面を目の当たりにすることになるのかもと思ったり。

人それぞれ自分の選択が、おのずと自分を喜ばす→結果として人を喜ばせることにつながっていけば素敵だと思います。

武器など、人を不幸に突き落とすビジネスなどは、もう無くなっていく世界がくればいいな。

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